2012年07月26日
福島が好き! ラバーズツーリング編
ジュピアキャンプをお昼くらいに出発した私達4台はみんなに別れを告げて走り出しました。
今回の目的地の一つに川内村に行くというのがありました。帰村宣言を出してからの今の川内村の現状をこの目で見てきたいと思っていたからです。
村にはどのくらいの活気が戻っていて、どんな生活をしているのか?帰っていた方達はどんな気持ちでいるのか?そしてその人たちに僅かにでも何か元気を与えられることができたらいいという想いを持って。
この川内村の帰村がうまく出来ない限り他の警戒区域の村や町の復活や復興はありえないことだと思っています。今この福島の小さな村に何があるのか?
いろいろと複雑な思いを持ちながら私たちはアクセルを開けて走りました。
そこにあった景色は雑草の覆い茂って田んぼとほとんど開いていない商店の姿でした。町には確かに車は通ってきますが多分当時よりは随分少ない数だと思います。
わかって来たはずなのに、それを自分の目でしっかり見ておくために来たはずなのにやっぱりみんなで悲しいため息が出てしまいます。
近くに家の修復をされている大工さんを発見!ただそれだけでとても嬉しくなるのは不思議だ。
出来ればこの町で開いている食堂があればこの川内村でご飯を食べる。そしてその村の人と話せて僅かながらお金が落とせたらいい。
安斎パパが知っている食堂があるということでまだやっているかをその大工さんに聞いて来てもらった。
やった!開いているらしい!帰って来ているらしい!
嬉しくなりパパの先導でその食堂へ。
・・と、いう所でしたが残念ながら見つけられずそのまま村を出ることになってしまいました。ただその場所を間違えただけなのか?本当は閉まっていたのか?それはパパのみが知る。
そのまま昼食を逃した私たちが原発20キロギリギリの国道を北上をしていると私にとってとても愛おしく大切な町に入っていました。
ここは福島県双葉郡浪江町。その看板や標識が見えた時私はあまりにビックリしたのと同時に目頭に熱いものがこみ上げてきました。まさかまた浪江町に入れるとは。しかも自分のバイクで。
浪江町は横に長いひょうたん型の町で確かに端の方は20キロ圏内ではないのは考えればわかることなのですが、自分の中の片隅ではもう自分のバイクで走れることはないのではないかって思っていたのも事実。
正直信じられない気持ちと、嬉しい気持ちと、今ここにいる浪江町の津島も警戒区域のため人の気配がまったくない事へのとてつもなく悲しい気持ちでいっぱいでした。
このT字路を左に曲がれば安斎家や私の親戚が住む仮設住宅のある福島市方面。右に約1キロも走れば20キロのゲートがある。
私たちは右に向かいました。それも確かに今ここにある事実だから。行くべきだと思ったから。
初めて見た20キロのゲート。この日本で入っていけなくなった場所との境目。悲しく皮肉なことに事にそのゲートの前は幼稚園。この幼稚園では約500日前には楽しく無邪気な子供の笑い声が響いていたんだろうな。とつい考えてしまう。
そこを警備していたのは鳥取県警の方達。私たちがなぜこんなうるさいバイクでここに来たかをちゃんと説明させてもらい、いろいろとお話を聞くことが出来ました。
今この道は国道114号線。このゲートの先数キロ走れば加倉でこの道沿いに親戚の家がある。また少し走った右手には浪江駅があってそこに別の親戚が営む小さな飲み屋があり、さらにそのまま海岸まで走れば今は亡き祖母の家でおじさん家族が生活をしていて、その近くにももう一軒の親戚の家。海岸の2軒は今でこそ津波によって何もなくなってしまったがこのゲートの先には間違いなく私の故郷があるのだ。
出来ることなら多少の放射能があってもこのゲートを抜けて走っていきたい。そんな気持ちでいっぱいでした。
するとゲートの先から二匹の犬が走ってきました。警察の人によるとここを水のみ場にしていてよく来る二匹らしい。ちょっと前までは飼い主に可愛がられていたであろう二匹の犬。逃げ出したのか、放されたのかは解らないが見ているととても悲しくなりました。
水飲み場とはいえ、多分ここに来れば必ず警察の人がいるわけで、多分無人となったこのゲートの先で人恋しくてここにやってくるのだろう。やはり一度人の温もりと共に育った動物は、野良になってもなりきれないのだろう。特に何をしてあげることも出来ない自分の歯がゆさを感じながらゲートを後にして私たちは走り出しました。
私達福島ラバーズは風評被害に悩む福島を走り私たち自身が福島をおもっきり満喫することで福島の楽しさを少しでも多くの人に微力ながらも伝えられればいいと思っている。それは決して何の団体でもなく、ボランティア活動でもなければ、もちろんチームやMCでもなんでもない。ただの福島ラバーズ。
でも自分達も知っておかなければならない現実や目を背けても何も変わらない現実、今やほとんど報道すらされなくなった現実を知ることやこの目で見て感じることも大切。出来ればそれを少しでも伝えることが出来るなら伝わって欲しいと思う。
人の手を離れた田んぼの姿。あと少しでそこが田んぼであったことすらわからなくなる。警察しか通らない道路。何の気配も姿もない牛舎。無人の家の中に今も冬物のセーターが干してあること。地震で入った道路の大きな亀裂がそのまま手付かずでカラーコーンだけがそこに立っていること。そしてゲートで見た風景と犬の姿。家も動物も田んぼや畑もましては自動販売機すらも人の生活あっての事。
これが今の浪江町の姿であって福島の現実。そして私達日本にある事実。
この程度のまだ仮置き場すら決まっていない除染活動の姿。
そんなことを噛み締めながら走っていると川俣町に入りやっと緑の田んぼの姿。こんな当たり前の事が嬉しかった。
そこで念願の遅めの昼食。ハイ。ラーメンです。
腹もペコペコだったのでうまかったな~。ここで同じくジュピア帰りのバイカーとも会いました。
そして福島市に入り今晩の宿である安斎家へ。いつもすいません。お世話になります。
この間はすいませんね~。ウチのおきやんまで。
気分変えてみんなで庭で海鮮&焼肉で乾杯!このジュピアの事、今日の走ったことなどいろいろと話して美味しいご飯とお酒を頂きました。あっ!あとジュピアの反省会もね。
翌朝さわやかに庭で美味しい朝食もしっかり頂いて、少し車でブラブラして私たちは東京に向かって帰ることにしました。
途中まで安斎夫婦も見送りに走ってくれるとのことで一緒に出発。
矢吹インターの手前で安斎夫婦と別れて私達2台は猛暑の中高速を飛ばして帰っていきました。
ミッションの中のメタルが粉砕しかかっているのも知らずにね。
安斎夫婦大変お世話になりました。ありがとうございました。その内何かに形でお礼しますからね。
PS 福島に咲くひまわりがとても元気をくれました。
繋いでもらった縁。
福島ラバーズ2017④~優しい奇跡~
福島ラバーズ2017③~請戸の一本樫~
福島ラバーズ2017②~囲炉裏の灯り~
福島ラバーズ2017①~白河の紅葉の下で~
うつくしまふくしまのキーホルダー
福島ラバーズ2017④~優しい奇跡~
福島ラバーズ2017③~請戸の一本樫~
福島ラバーズ2017②~囲炉裏の灯り~
福島ラバーズ2017①~白河の紅葉の下で~
うつくしまふくしまのキーホルダー
Posted by SUGAR工房 at 02:36│Comments(0)
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