2011年03月23日
前に進みたい福島 その1
福島県浪江駅です。夏のお盆の時には帰省してくる家族とそれを待つ家族でいつも賑わっていました。この駅は常磐線でも特急スーパーひたちが停まるので特急の到着時には特に人であふれていました。最近こそハーレーやワーゲンなどで行くことが多くなりましたが、それまではいつも上野から特急に乗って帰省していました。改札で祖母やおじさんたちが待っている様子がとても嬉しく、そして少し恥ずかしかったのを覚えています。
しかし、そんな駅の風景も今はありません。この震災により国道6号線より海側は壊滅し、原発の事故により非難を余儀なくされ今この町はほぼ無人の町になりました。
この震災の被害者はもちろんここだけではなく広い範囲の方々が今も避難所生活で不自由な生活の中頑張っています。それぞれに抱える想いも苦労も違うのでどこが一番の被害者かなんてこともありません。
だたその中でも原発の避難地域でない所では人命救助と共に少しずつ復興へ向けて進みだしている。本来私達が励まして力を与えなければいけないのに、その必死に前に進もうとする姿に逆に励まされ勇気づけられてしまうことも少なくありません。ただこの町の人々は今現在も不安定な原発事故に振り回されてそのスタート地点に立つことも出来ないでいます。避難地域の為にレスキューも入れない為にいったい何人が瓦礫の中で救助を待っていた人がいたのかと思うと胸が苦しくなります。
避難所にいる人の中にも
『防護服を着て救助に入ってもらうことは出来ないのか』
『防護服を着て自分が行きたい』
とまで考えている方が数多くいるらしいです。
『救えなかった命』と『救われた命』。そこに『救えたのに救えない命』があったならそれは放射能による被爆以前にもうすでに被害者はいるのです。
その気持ちを持ったまま避難所で頑張っている人たちを一日でも早く復興のスタート地点に立たせてあげたい。地震、大津波、放射能汚染、そしてこれからもエスカレートしていくであろう風評被害。
『原子力発電所は安全です』とアピールする施設まで作られて信用して、『東京を支える福島原発』『未来のエネルギー原子力』とこの辺りの町には掲げられ『福島原発の町』を誇りにさえしてきた町。海岸近くの町道、県道には朝は原発に出勤する車で渋滞するほどでした。
それが私の生まれた町です。
このブログ初めて以来の次回へつづく
