2011年09月14日
南相馬に向かう道
この土日で南相馬に行ってきました。南相馬市というのは福島県の浜通りで福島原発から約40キロほど海沿いに北に上がった所にあります。
その下の浪江町で生まれた私にとっては昔からなじみのある土地で、小高、原ノ町、鹿嶋と呼び、逆に合併になって生まれた『南相馬市』という名前になじめないでいます。
ここで去年行われたイベントがあります。『シーサイドサンミーティング』。去年は原ノ町のシーサイドパークで行われました。私もその第一回目にバイク出店にて参加させていただき、主催の方々にはとてもお世話になりました。その様子はこのブログのイベントのカテゴリーから見てみてください。
ちなみにその時の出店数は私の地べたを含めて3店舗。寂しかったけどとても温かいイベントでその帰りには浪江町の親戚を訪ねるのもまた楽しみの一つでした。
しかし、もちろんあの大震災にて会場は跡形もなくなり、ましては放射能、風評被害、国の対応によっていま南相馬は大変苦しんでいます。
誰もがしばらくは出来ないであろうと思ったこのシーサイドサンが急遽何とか頑張って開催されると聞き
、私は行かなければ行けないと思いました。今回は出店ではありませんが、とにかくそこに向かうことから何かが始まると考えています。
当日いつものブロンディ内藤さんと合流し一路約4時間ほど北上していざ福島市に入りました。本当はそこにトラブル大盛りさんも一緒に走る予定でしたが、一足先に向かっていたので合流できず2台のショベルで会場を目指しました。
そこで通る村『飯舘村』。今でこそ嘘のように話題に上がらなくなりましたが、数ヶ月前は日本で一番有名な村だったと思います。
最初は安全だ。大丈夫と政府の隠された情報の中で伝えられ、実は風向きと地形の関係で避難地域。その情報に惑わされながら不安に生活し、最後は全村避難として大事な物を残して故郷を離れなければならなかった村民はいったいどんな気持ちで荷物をまとめたのだろう。寂しくて、悲しくて、悔しかったと思います。
その無人の村と化した飯舘村にはシャッターの締め切った民家とお店。そして雑草の茂った畑だけが静かに取り残させていた。そこを自分達が走ったように道路には普通に車だけが行き来をしている。
この街に何とかして村民をまたみんなで戻してあげなければならない。これは遠い世界のことでなくて東京からわずか300キロほどのすぐそこの私達が住む日本の風景なのだから。
そう心で噛み締めながら2台のショベルは南相馬鹿嶋の会場に向けてアクセルを開けていきました。
会場近くの道路の片隅に植えてあったひまわりの花。力を与えてくれる花なのに、この植えている理由を考えるとやけに悲しく感じてしまいました。